高齢ママのママ友問題

高齢出産すると、高齢ママになるわけで、子どもの幼稚園・保育園時代から小学校ぐらいまで(?)ママ友とのお付き合いがついてきます。今回は高齢ママのママ友問題、そこから派生して人付き合いが苦手なママの友達作りについて、考えてみたいと思います。

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目次

年齢を気にする?

ママ友に限らず、友達を作るのに年齢を気にしますか?

なぜ同じ年代じゃないといけないのかな

私は昔から人付き合いが苦手で、友達を自分から作るのが下手でした。そのため子ども時代は友達が少なく、高校までは休み時間になると、一人でぽつんと席に座っていたものです。お弁当を一人で食べたりしたこともよくありました。

高校卒業した後は専門学校へ行きましたが、少人数制だったので、一人あぶれるという経験はありませんでした。社会人経験を経て、大学は30歳超えてから行きましたが、ここでもだいたい一人。積極的に友達は作りませんでした。

大人になってからも、非社交的な性格について悩みました。職場でも飲み会などで一人ぽつんとなることがあったり、社員旅行はとても嫌でした。数少ない話し相手は、大体歳の離れた人でした。もしかしたら一人ぽつんとなっているので、気を使ってくださったのかもしれませんが。

考えてみると、幼児期から高校ぐらいまでは、同年齢に囲まれた環境・同年齢の友人ばかりという環境ですが、大人社会では同年代の集団なんてありません。そう思ったら、友達=同じ年頃じゃなくてもいいのかな、なんて少し安堵したことを覚えています。

私も年を重ねるごとに精神年齢も成長し(笑)、自分なりに人付き合いのコツもつかめてきました。今では幅広い年代の友人と交流しています。今この記事を書いている私は49歳。一回り下の友達から、上は70-80代まで。70代にもなると友達という関係ではないけれど、相談したり興味深い話をしたりして、楽しい時を過ごしています。60前後の友人も何人かいて、とても親しく交流しています。一緒に旅行へ行ったり、メールをやり取りしています。

ママ友に話を戻しましょう。なぜママ友になると年齢を気にするのでしょうか。確かに私も、気にはなります。「あの人何歳かな」って。でもそれは、付き合い対象を考えるためではなく、単に興味があるからです。自分の経験の中で感じたのは、人間の成熟度は長く生きているかはあまり関係ないということです。失礼な言い方かもしれないけれど、私より何十年も長く生きている人でも、残念なものの考え方しか出来ない人がいます。反対に、私よりも20歳以上若いのに、立派なものの考え方をする人もいます。

そう考えると友達を作るのに、なぜ年齢を気にしなくてはならないのかと思えてきます。ママ友も同じです。子どもが同じ年頃で、同じ保育園や小学校、同じようなことに興味を持ち、一緒に遊んでいる。そのかかわりで親同士も友人になる。それだけのことですよね。年齢は関係ないと思います。それよりは、どんなことを考え、行動するのかのほうが、よっぽど気になるのは私だけでしょうか。

確かに気になる容姿の問題をどう考えるか

年齢は気にしない。そうは言っても、自分の容姿が他のお母さんたちよりも明らかに老けていることが気になる人はいるでしょうね。私も全く気にならないかといえば、うそになります。自分の白髪の多さにフーっとため息をつき、他のお母さん達は白髪のないきれいで健康的な髪を見ると、いいなぁと思います。また子どもが少し大きくなったときに、「うちのお母さんお友達のお母さんよりも年取ってる、おばあちゃんみたい」なんて言われたらショックだろうな~と思います。

でもそこは自分自身の問題。解決可能です!歳をとることによる見かけ、これ自体は何も悪いことはないと思います。要はシワひとつにしても「どんな表情をしているか」だと思います。ネガティブなことばかり考えていると、シワがあってもなくても、印象の悪い表情になるでしょう。シワがあっても素敵な表情で笑い、生き生きとしてしたら?

私の友人でずっと年齢が上の人たちは、70代の人でもとても素敵できれいで輝いて見えます。私もそうありたい。そして子どももまた、私が感じているように私の60代70代80代をきっと見てくれる。そのために私は自分磨きをしっかりと楽しみながら続けていきたいと思います。年齢を重ねるごとに、お化粧よりも内面がにじみ出てくるものだと思います。日々発する言葉そして思考が自分を作り上げると思うので、言葉選びは慎重にしたいです。

なぜ友達が欲しいのか考えてみる

なぜ友達が欲しいのか、なぜママ友が欲しいのか考えてみたいと思います。

一人じゃやっぱりさみしいよね・・・でも

一人ではさみしいから。友達と過ごす時間が楽しいから。情報交換ができる。自分の世界が広がる、などなど・・。私が真っ先に思いついた理由は、「一人ではさみしいから」。これは集団の中にいるときに思ったことです。

4月、保育園へ入学したり進級したりして、まだ仲良しのママ友がいない時期から、5月6月と月日が進むと行事のたびに仲良しのお母さん達が集まって、何か楽しそうにお話してる。あれ、自分だけ浮いてる・・・なんて(笑)。私は日常茶飯事でした。

昔、「ぽつん」をよく経験したので、思い出すんですよね。始めはいやだったけれど、私はこう考えました。

集まって、何を話しているのかな?有意義な話題もあれば、自慢話とかもあるのかな?もしかして、無理に他のお母さんの話に合わせたりとか・・・。それなりに苦労しているのかもね。情報交換はいいことだけれど、迷いが生じることもあるかもしれない。反対に、私なんか保育園からもらうお便りだけ見てるとすごい勘違いしてしまうことがあるけれど、そういう勘違いは日ごろからママ友と交流していたらないのかもしれないなとか。

保育園に子どもを送り届けた帰りに、立ち話してるお母さんたち。あの人たちはまだ仕事に行かなくてもいいのかな。今日は休みなのかな。私がもし、そういう輪の中に入ってしまったら、一人だけ帰ると言い切れるだろうか。断るの苦手だからな~><;

ママ友作りにエネルギーを使わない

改めて「いろいろ悩んでるな自分」と思います。考えてみてわかったことは、集団の中でぽつんとなるのが嫌という理由だけで、無理にママ友を作ると後々困りそうだなということ。だったらそういう気持ちでママ友は作らなくていいと思うようになりました。

無理にママ友を作らなくたって、そのうちに嫌でも子どもを通じてのお付き合いが始まるはず、そう思いました。そしてその通り、小学校へ入り、地域の子ども会に入り、ご近所の小学生を持つお父さんお母さん方との関わりが生まれてきました。自然に生まれる関係を、そのままに受け入れて、それでいいじゃないと思っています。

逆に学校行事や地域の行事に不参加だと、そのような関わりも生じません。どちらが自分に合うか、そして子どものためかを考えて選択するといいですね。ちなみに今頃は子ども会そのものがなくなっている地域がたくさんあるそうですね。その場合には、学校行事に積極的に関わるとよいと思います。私はPTAの役員と、絵本の読み聞かせボランティアで学校へ行っています。PTAも絵本の読み聞かせボランティアも、仕事を持つお母さん方が活躍されています。

自然体でご縁がある人と

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経験を通じて学んだことは、無理して友達を作ろうとしても上手くいかないということです。誰かの真似をしたり、誰かのアドバイスどおりにしようと思って、本来の自分とは違う動きをしても上手くいかないことが多いのです。アドバイス自体は間違っていなくても、正解は1つではないはずです。自分に合った方法でなければ、自分にピッタリ合う友達にはなかなかめぐり合えません。

交友関係を作ること自体を目的にしたら失敗する

ママ友とは違いますが、ある目的で人脈を作ろうとしていたときのこと。人脈を作るのがいいというアドバイスがあったからです。人に誘われては出かけていきました。自分らしくないなと思いながらも、精一杯がんばりました。けれども人と知り合う機会は増えても、本物の出会いは全くありませんでした。残ったのは名刺の山。名刺を見ても「えっと・・・この人誰だっけ?」という状態。その後の交流へとはつながらない、その場限りの出会いのみ。いくらかはその後に連絡を取り合いはしたものの、私が今後継続して交流を深めたいと思う人は皆無でした。

人脈とか交友関係は、それ自身を作りに行くものではないのだなとわかりました。自分の生き方というと大げさかもしれないけれど、行動スタイルを貫いて、そこから自然に生まれる出会いを大切にすれば、いつしか思うような交友関係が築けているものなのですね。無理して作った交友関係で、相手の勝手な想像・勘違い・妬みで絶縁した人もいます。無理をするとろくなことはありません。

ゲストではなくホストになるという発想

人の輪に入るのが苦手で、非社交的な私が、都会から自然豊かな街に引っ越しました。すると必然的に人との出会いが極端に少なくなりました。孤独には耐えられるほうだったのでそれでもよかったのですが、保育園でママ友を積極的に作らないとなると、自宅で仕事をしているために、このままでは知り合いが全くいない生活になってしまうと思いました。それはさみしすぎるかも!

かといって今までの経験上、ママさんの集まるような場に行っても気後れしてしまうし、どうせ浮いちゃうだろうな・・・と思い、日々、なんとなくこの状況を打開する方法を考えていました。そして妙案が!

人の集まる場に行くのが苦手なら、人が集まる場を自分が作って中心にいればどうだろうと考えました。もちろん、私にはリーダーシップなどありません。けれども感じるものがあったので、早速行動を開始しました。すると人が集まり、自分が浮いてしまうことなく人の中に入っていけたのでした。それに自分が作った場なので、自分と話が合う人たちが集まってくるので、会話には苦労しませんでした。

そこで学んだことは、「人の中に入っていくのが苦手なら、何かその集団の中での役割を買って出るといい」でした。これは今までの私の考え方とは全く逆でした。目からウロコとはこのことです。集団の中にいるときに不安になるのは、「誰かにあわせなくてはならない」と思い込んでいるときです。その集団の中で自分の役割を自分なりに見出せれば、周りが必要以上に気にならないし、自分の周りに人が集まってきます。

結局は人柄・人間力

この人素敵だなと思う人とできるだけ会話して、なぜこの人は魅力的なのだろうかと考えてみるといいかもしれません。共感できる部分があると嬉しいし、すごいなと思う部分はどんどん吸収していきます。

昔、人付き合いが下手なときには、話すことがなくてついつい愚痴をこぼしてしまいがちでした。すると愚痴を言う人が集まってきて、愚痴大会。その場はすっきりするのですが、またしばらくすると不満が溜まってくるのです。そして集まってまた吐き出す。その繰り返し。

ママ友を作っても、家族や育児の愚痴や不満を言い合う関係って楽しいですか?今私はそういう交友関係はありませんが、作りたいとは思いません。ママ友とはお互いに励ましあって、前を向いてがんばれる関係でありたいです。

そういうママ友を作るには、まず自分が愚痴を言わないことです。ネガティブなことは言わない。聞く人が楽しいと思えることだけを話します。かつて私は超ネガティブ人間だったので、楽しいことだけを話しても消化不良でした。けれどもずっと続けるうちに、楽しいことを話すことが楽しくなり、ネガティブなことを言いたくも聞きたくもなくなりました。

「類は友を呼ぶ」ということわざ、ご存知ですよね。これは本当ですね。私が愚痴ばかりこぼしていたときには、周りに愚痴ばかりこぼすひとがいました。けれども愚痴どころか、ネガティブな言葉を使わないようになると、同じようにネガティブな言葉を使わない、気持ちよくて素敵な人とご縁ができて、仲良くなれるようになりました。

自己啓発あるいはスピリチュアルな本などでよく見かけるのですが、自己の精神レベルに合った人が集まってくるという言葉。まさにそんな感じです。私はこれがことわざの「類は友を呼ぶ」の本当に意味するところなのだと思います。

私の結論は、別に「ママ」友じゃなくてもいいと思うのです。育児を卒業した「先輩ママ友」でもいい。「先輩パパ友」でもいい。とにかく育児をしていて、いろんな不安を抱え、誰かに話したい、聞いて欲しいと思ったときに、親身になって聞いてくれる人がいればよいと思います。保育園でぽつんとなっても、私はもう気にしません。ここには友達はいないけど、私には信頼できる友達がいると思えば、別にどうってことないのです。

今は保育園は卒園して、小学生のママですが、気持ちは同じ。子ども会や学校行事には参加していますが、そこでも無理な付き合いはしない、を心がけています。そうはいっても組織の付き合いというものがあるので、無理しないを貫くことはできないかもしれませんが、本当に気がすすまないときは、自分に鞭打ってまで入っていかないほうがいいと思います。

ただでさえ、小さい子どもを育てていればストレスが溜まります。あまり自分を追い込まないで、自分の味方をたくさん作りましょう。特に夫婦間の関係は良好に保つように、毎日のちょっとした気遣いや温かい言葉かけが、意外と効き目ありますので、ぜひ実践しましょう。

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