高齢育児事情~悩み多き高齢ママ
晩婚化が進み、30代で初産なんて珍しくない世の中になりました。35歳以上の初産の場合を高齢出産と言いますが、高齢出産の割合も増えてきていて3-4人に1人とも言われています。
高齢出産の後には高齢育児が控えています。若いお母さんの育児とは異なり、お母さんの健康面・体力面でかなりの負担になることがわかっています。その上、高齢出産に対する心無い言動に敏感になったり、自分自身が気になってママ友の輪に入れないなど、精神面でも辛い時期を過ごすお母さんも多いようです。
私は42歳で初産を経験しましたので、妊娠から出産までの大変さと出産後の育児や自分の親の問題など、若いお母さんとは違った悩みがあることは理解しています。一般的な話は他のサイトに任せるとして、ここでは実際に私が悩んだ事柄、苦労した話、一つ一つの問題をどうやって乗り越えてきたかを振り返ってみたいと思います。
目次
産後の回復が遅い
高齢出産になると若いときに出産するのとは違って、体力面で衰えを感じる人が多いと思います。自然分娩の予定が緊急帝王切開になることも、珍しくないと思います。私がまさにそうでした。
帝王切開になると自然分娩に比べて入院日数も長いですし、傷の回復にも時間がかかります。出産後の疲れは尋常ではなかったです。私は帝王切開だったため、術後はモルヒネの点滴をしていたので、夢うつつでその日が終わりました。目を開けていられないのです。一瞬目が覚めても、次の瞬間にもう寝ているといった感じでした。
ほぼ寝たきりでまる2日ぐらい過ごしました。トイレに行けないので、尿カテーテルを挿入していました。実は私、いつカテーテルを挿入したのか、はっきり覚えていません。予定日の1週間前に自宅で破水してそのまま入院、その後陣痛が起きないため待ちましたが、感染症のリスクとの兼ね合いから陣痛促進剤の点滴を行いました。
強烈な陣痛を経験しました。痛すぎて震えが来て、まともに歩けない状態での診察台まで歩け(ほんの5-6メートルの距離)と言葉を放つ助産師さんが鬼に見えました。自分でパンツを脱いだり履いたりもできないぐらい痛かったです。陣痛の感覚が狭まって、もうずっと痛い状態になってしまっても子宮口が開かないため、緊急帝王切開となりました。そんな傷みだったので、カテーテル挿入時に痛みがあるかとか感じる余裕ゼロでした。
出産後ほぼずっと寝ている状態で、翌日から目が覚めましたがその日も一日中ベッドの中。カテーテルもそのまま。3日目にカテーテルを抜かれ、仕方なしに起き上がる練習。激痛に耐えながら、歩く練習をしました。3日目にやっと、母乳をあげに行ったのです。
当時は3日目まで自分の赤ちゃんを見に行きたいとも思わなかった自分に、罪悪感を感じたものでした。でもその時はそれほどに疲れ切っていたのでした。もともと体力もなかったので、相当疲れていたのでしょう。これは若さだけではなく、個人差が大きいと思います。
結局私は退院予定日に退院することができませんでした。血液検査の結果CRPが高く熱もあったため、点滴を受けてしばらく様子見でした。12日間も入院して、やっとわが家に帰ることができました!
実家に頼れない
産後の回復が遅い上に、高齢出産する女性の親もそれなりに歳をとっているわけです。私の母は私が子どもの頃に他界しているし父は80歳でしたから、実家に応援は頼めません。夫の実家も遠いため、自宅に戻った後が大変でした。それでも当時夫は友人と会社経営をしていたので時間の融通が付きやすく、洗濯や料理などを産後1か月近く助けてもらいました。
術後の傷の痛みはかなり強く、退院後1か月も痛み止めを飲んでしのいでいました。産後1か月も経たないぐらいから、夫だけに頼るのも限界が来て、自分でスーパーに買い物に行って料理など、家事も始めました。当時は産後2か月から自宅勤務を始めていたこともあって、いつも疲れていて眠かったのを覚えています。
3時間おきの授乳をしなくてはならないし、子どもがなかなかゲップが出ない子で、ゲップを出すまでに2時間ぐらい経過。出ないのであきらめて寝かせると、噴水のように母乳を吐く。本当にこれでいいのかという子育ての不安もあり、自分の身体が持つかという不安もありました。
そんな私の気持ちを知っているかのように、子どもは生後1か月でまとまって4―5時間睡眠を取ってくれるようになりました。本当にありがたかったです!母乳をあげていると、体力を消耗しやすいのですよね。母乳は母親の血液から作られるので、たくさん食べなくてはならないけれど、食べてもそれが母乳に取られてしまうのですから。けれど体は上手くできていて、母乳をあげる刺激が子宮の回復を早め、また妊娠中に太った体を細くしてくれます。
私は産後、実家で育児に専念するという経験はできませんでした。そんなお母さんも、最近は多いのかもしれません。当時は実家で産後1か月間実母のお世話になるという人を、本当にうらやましいというか、嫉妬すら感じていました。産後は何かと精神的にも不安定になるので、そういう激しい感情も抱いてしまったのかもしれません。
精神的に不安定になる
これはホルモンバランスや環境の変化に心がついて行けていないのですね。夫と知り合ってから1年4ヶ月ほどで出産したので、その頃はまだ夫婦としても充分な関係を築けていなかったことも影響していると思います。夫婦喧嘩というのではなく、心のすれ違いがとても多く、ほぼ毎日泣いていた記憶があります。
当時住んでいた地域では月に一度、高齢出産をしたお母さんのところに助産師さんが訪問してくれていました。私はそれでかなり救われていました。気持ちのコントロールの仕方などを教わったり、おすすめの育児の本などを紹介してくれました。私は藁をもすがる思いで、気持ちのコントロール法を習得し、おすすめの育児本を買って読みました。
保健所が近所にあったので、育児サークルにも積極的に参加するようにしていました。家の中で子どもと二人きりでいるのは良くないと思ったからです。けれど、育児サークルに行っても周りは若いお母さんばかりで気おくれして、上手くママ友を作ることはできませんでした。
若いママたちとの距離感
もともと社交的ではなく、知らない人に自分から声をかけることができないタイプなので、育児サークルへ行っても誰とも会話せずに帰ることがほとんどでした。それでも外へ出るといろんな情報に触れることができるので、気分転換になりました。自分から声をかけないでいると、本当に誰からも声をかけられません。たまーに話しかけられることもありましたが、一言二言話すだけで、会話が終わっていました。若いママたちの会話についていけないとか、そういうことではなかったのですが、何となく何を話していいかわからなかったのですね。
私は人づき合いが上手い方ではないので、気の合わない人と無理に一緒にいるくらいなら、一人でいるほうが好きでした。でも集団の中で一人ぼっちは孤独を感じますね。それでも一人ぼっちでいることは、子どもが赤ちゃんの頃はあまり気にならなかったのですが、保育園に行くようになる頃は少しさびしいと思うことはあったかな。
でもやっぱり、無理にママ友を作ったり自分から無理してママたちの輪に入ることはしませんでした。ただでさえ疲れているし育児のストレスを感じているのに(笑)、さらに人間関係のストレスを溜めたくなかったからです。矛盾していますが、気楽でいたい気持ちと友達が欲しい気持ちの両方がありました。
そんなとき私が考えたことは、「自然体でいよう」ということです。自分を見失ってしまうのではなく、不器用でもいいから自分らしくそのままに堂々と振舞おうと。都会にいるときは、特に孤独でした。都会って不思議です。たくさん人はいるのに、ほぼ全員が知らない人。ただすれ違うだけの人。
子どもが2歳になってすぐ、ちょっと田舎に引っ越しました。こちらに移り住んでから築く人間関係がすっかり変わりました。
ママ友だけじゃない、いろんな年代の人との関りを持つ
私は今でもママ友は少ないです。というか、ほとんどいません。今子どもは9歳で、この記事を書いている時点で新4年生になるところです。同じように子どもを持つ友人はいますが、保育園や学校など子どもを通じて知り合ったのではなく、私自身の活動の中で知り合い仲良くなった友人が、たまたま子育て中でした。だから私の子どもとは年齢が違います。
学校や子ども会の活動で、よく話をするようになる人はいますが、友人かというとそんな親しい関係ではありません。プライベートで会ったりしないですから。私は無理せず自然に今ある人間関係が好きです。ママ友はいないけど、30代の女性から上は80代まで、一緒にお茶したり楽しいおしゃべりをする友人がいます。子育て真っ最中の人もいれば、子育てを終えて自分の楽しみに時間を使っている人もいます。男性もいれば女性もいる。
幅広い年齢層の人と親しくしていると、いろんな価値観を知ることができ、自分の悩みを話した時にいろんな観点からの意見がもらえます。そのおかげで一つの考えにとらわれずに、深く悩みすぎることもなく生活できている気がします。だからママ友の輪に入れないとか、そんなこと気にする時間があったら、別の場所に目を向けるといいです。
そう思うもう一つの理由は、自分の子どもと同年代の子どもを持つママたちが集まる場ではなく、いろんな年代の人が集まっている場に行ったときに知り合える子育て中のママさんは、バイタリティ溢れポジティブで活動的な人が多いです。ママ友を作るとしたら、そういうやり方もありだと思います。そういう場に来るママさんは、年齢関係なく付き合える人が多い気がします。
子育て中は、いつも自分の楽しみは後回しなの?
子育て中は確かに、子どものお世話に追われます。でもだからといって100%子ども中心の生活をしなければならないかというと、そうではないと思います。子どもの年齢によって、できることできないことがあるので、同じペースとはいきませんがその分自分の柔軟性を高める訓練と思ってその時々で対応できるようになると、ストレスも軽くなると思います。
私の場合は、子どもがまだ歩けない頃はベビーカーに乗せたり抱っこ紐でいろんなところへ行きました。多少の不便はありますが、この時期は自分の意志で行きたい方向へ好きなペースで歩けるので、この先を思えばまだ自由度があったと思います。
幼児期に入ってからはサークル活動に連れて行きました。サークルは育児関係ではなく、私が興味のあるサークルです。実は私が思いついて他の協力を得て作ったサークルで、代表も務めていたので連れて行かざるを得ない状況でもありました。当時も自営で仕事をしていたので、仕事の状況によっては保育園に預けたり子どもをサークル活動の場に連れて行ったりしました。
私はママ友とのお付き合いなく、会う人の多くは私よりも年上の方々でした。必然的に子どもは私よりも年上の人と触れ合うことが多く、小学校入学前ぐらいまでは大人が好きでした。たくさんの人がいる場にいつも連れて行ったので、物おじせず誰とでも話せる子どもになりました。
私は子どものことをちゃんと気遣えるのであれば、お母さんはもっと好きなことをしていいと思います。子どもがいるからできないと思う前に、子どもと一緒に外に出る方法を考えたほうが良いと思います。そしてお母さんの好きなことであれば、お母さんはハッピーに。そうしたら子どももハッピーになれるのだと思います。
お母さんがイライラしていたり、ストレスを抱えた状態だと、子どもはそれを敏感に感じ取ると思います。子どもが小さいうちほど行く先が子どもNGの場所でなければ、出かけていくことは可能です。ただし、荷物が多くなるし授乳やおむつ替えなどのタイミングや場があるかを事前に調べておくなど、準備は必要になりますが。でも家で子どもと二人、ずーっと向き合っているよりも気持ちはかなり楽になりました。
この状態が永遠に続くのではないと思うこと
最後に体力的・精神的にキツく、どうにもならないときには「この状態が永遠に続くのではない」と言い聞かせてなんとかやり過ごすことです。先に述べた外出は気分転換にとても良いです。その時々なんとかごまかしながらでも、時間が経ては子どもは成長します。できなかったことができるようになります。同時に今までなかった悩みも増えますが。
多少辛いことでも、一時すれば状況が変わると思えば辛い状態ですら貴重なときと思えることもあります。大変さを楽しむといっては変ですが、そのような気の持ちようも心身の緊張を少しほぐすには必要かなと思います。
何とかやっていきましょう。大変さも過ぎてしまえば良い思い出となるような家族関係を築くことも忘れないようにしたいですね。そのためには夫婦でお互いに思いやりを持った会話が必要です。難しいときは、相手に感謝することから始めると良いかもしれません。妄想でも良いので、子どもが寝ているときや一人になれたときにでも相手に対する感謝の気持ちを持ってみてはいかがでしょう。